僕だけが知らぬ街

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本当にあった怖い話〜17年前の寄せ書き〜その3

今回は前回に引き続き、私が17年前に体験した寄せ書きに纏わるお話をお送りしていきたい。

17年もの間、ずっと頭と記憶の中でつかえていたものを、ぜひ解消したいと私は考えている。

どうか、その真相究明のため、読者の皆様のご意見を伺えれば幸いである。

 

前々回の記事で2000年に発生したこの一連の奇妙な出来事のあらましをお送りし、前回は2017年現在のお話へと時間を戻し、考えうる説を書き記し記事を終えた。

hiroto901219.hatenablog.com

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今回も前回同様、2017年、夏のメルボルンから続きを記すことにする。

 

中里夏海にFacebook申請を送った翌日。

私は朝からFacebookを確認しては、中里からの申請許可が降りてやしないかと、何度も携帯を確認していた。

その様は、初めて女の子をデートに誘い、その返事を待つ純朴な少年のようだったが、その実は17年も前に発生した奇妙な出来事の真相究明だというのだから、可笑しな話である。

 

昨日、Facebookで友達申請を送った後、私は真相究明のため、2つのことをした。

まず、1つ目は当時の寄せ書きの写真を手に入れること。

色んな人にこの話をする度にまた新たな見解が生まれているため、実際にその寄せ書きを見てもらえればさらなる考えや説が浮かぶのではないか。

そう考えた自分は母親に協力してもらい、当時の寄せ書きの写真を手に入れることに成功した。

この写真を多くの人に見せることにより、真相にまた近づけることを期待したい。

 

次にしたことがこの写真をより多くの人に見せながらこの出来事を話し、意見を聞くこと。

多くの人に見てもらうことで、私だけでは到底辿り着けない真相に近づこうという腹である。

ということで、早速友人数人にこの写真を見せながら、ことのあらましと現在ある説をすべて話し、何か思うことはないか意見を求めてみた。

すると、面白いことが起きた。

また新たな説が浮上したのだ。

人間、十人十色とはよく言ったもので、やはり聞く人聞く人に様々な意見があるようである。

ということで、前回説明した説とはまた違った角度の説を書き記したいと思う。

 

6 何かのまじない、または呪い説

これはまた突拍子もない話なので、軽く聞き流して欲しいくらいなのだが。

みなさんは例のメッセージにある絵が描いてあったことを覚えているだろうか?

 

じかんきたらおしえてね

夏海                                    カエル

じかんだよ

 

上の文章の配置でわかって頂けるかは定かではないが、例のメッセージにはカエルと書いた部分になぜかカエルの顔と思しき絵が描かれていた。

そのカエルはお世辞にも上手いとは言えないデザインであった。

そもそも、他のメッセージを見るに他のクラスメイトは誰も絵など描いていなかったので、少し気がかりではあったのだが、友人の1人がこのカエルに対して驚愕の発見をする。

それぞれのメッセージの写真を見せていた時にそれは起きた。

 

待って。

このカエルよく見て。

このカエル、ここに描かれてるわけじゃないよね?

別の紙に描いたカエルが貼られてるよね?

 

そう言われ、写真を拡大してみて驚いた。

たしかにそうなのだ。

よく観察してみると、例のメッセージが描いてある紙とは別の紙にカエルの顔が描かれており、それを上から貼ってあることが見て取れる。

これは驚いた。

何度も観察していたこの写真だったが、こんなことまったく気づかなかった。

ただ、なぜ?

なぜ、わざわざ別の紙にカエルを描いて貼ったのだろうか?

そもそも、カエルを貼らなきゃいけない意味は?

すると、友人はこう続けた。

そのカエルの描かれた紙を剥がせばいいのではないかと。

 

友人曰く、そのカエルを剥がすとそこには未来の時間が書いてある。

そして、メッセージにもあるようにその時間が来たら私に教えて欲しいと、そういった意味なのではないか?と、私の友人は話す。

なるほど、ある未来の時間が書いてあり、それを隠すためにわざわざ別の紙を貼った。

さらに紙を貼るだけでは、そのカラクリに気づく可能性もあるため、カモフラージュでカエルを描いた。

たしかに私はこのカエルに目を奪われ、別の紙の存在にはまったく気づかなかった。

さらに、文章の不可解さも未来の時間が書いてあるのであれば、合点がいく。

では、仮に未来の時間が書いてあるとして、その時間が来るとどうなるのか?

その疑問を友人にぶつけた。

すると、友人はこう続けた。

 

 

ひろとが死ぬ時間が書かれているんじゃない?

それか、この子が殺しに来るとか。

 

はい?

涼しい顔で何を言ってくれてるんだこいつは。

 

そう言い放ったはいいものの、私は背中に寒気を感じずにはいられなかった。

友人曰く、このメッセージは何かのまじないや呪い的なもので、そのカエルの顔の下には、未来の時間が設定されており、その時間が来ると私は死んでしまうのではないか。

デスノートじゃあるまいし、そんなことがあってはたまらないが、なんとなく強く否定できない自分がいた。

それほどまでに、このメッセージには何か特有の気味の悪さがある。

仮に呪いのメッセージだよと言われてしまえば、それはそれで合点がいく。

 

友人はまだ続ける。

呪いじゃないとしたら、何かの予告のメッセージである可能性もある。

殺すというのは冗談だが、その未来の時間になつみが再び私の目の前に現れる可能性もある。

そう続けた友人は、最後にそのカエルを剥がしてみろと続けた。

そんなことを言われた自分は、無論寄せ書きの現物が手元にあるわけではないので、不可能なのはわかっていたのだが、仮に現物が手元にあったとしても決してカエルを剥がしたくないと感じてしまった。

そのくらいこの説は気味の悪さと現実味を帯びて、私には聞こえていた。

ちなみに、私の記憶の中ではクラスメイトに恨みを買うようなことはしていないと言い切れる。

私の記憶の中ではだが。

 

7 私が何かの約束を忘れてしまっている説

前回も話した通り、この出来事は17年の前に発生したことなので、正直なところ諸々の記憶が曖昧な部分がある。

そんな中、私の友人は私がどちらかのなつみとある約束をし、さらにそれを忘れてしまったのではないか?という説を唱えた。

友人曰く、その約束の内容は、例えば20歳になったらまた再会しようねだとか、大人になったら結婚しようねといったような、幼少期の男女がするようなよくある口約束なのではないかとのこと

無論、私はそのような約束をした覚えは全くないが、私の記憶ほど当てにならないものはない。

仮にこのような約束をしていたとして、これを書いたなつみ本人は、未だにこの約束を信じて待っているのではないか、というのが友人の予想である。

ちなみにこのメッセージは、その時に書いたもので、その約束を忘れさせないために敢えて2枚目のメッセージとして書き連ね、寄せ書きに加えたのではないかとのこと。

 

また、文章の内容に関してだが、この友人は新たな見解を見出してくれた。

 

じかんきたらおしえてね

夏海

じかんだよ

 

前回も話した通り、私はこの文章が上下で矛盾しているという話をした。

というのも、1文目では時間が来たら教えて欲しいと言っているのに対し、2文目ではその時間が来たことを明示している。

この矛盾がこの文章をより一層不気味なものに変えていると思っていたのだが、私の友人はこういう解釈を示してくれた。

 

まず、1文目は私の解釈と同じように時間が来たら教えて欲しいという意味の文章である。

しかし、2文目のじかんだよという一節は、時間が来たことを示しているわけではない、と友人は話す。

これは時間が来た云々ではなく、ただの強調なのではないか、というのが友人の考えである。

要するに2文目のじかんだよは、1文目を強調しているだけなのだ

わかりやすく例をあげよう。

 

今日帰りに人参買って来てね!

人参だよ!

 

おわかり頂けただろうか?

このように2文目に特に意味はなく、1文目を繰り返して言うことで、その文章を、ここでは人参を強調しているのだ。

友人はこの文章を見た瞬間に強調していると解釈したそうで、むしろ私の文章矛盾説は考えつかなかったそうだ。

たしかに友人の強調説は新しい解釈であり、さらに意味も通る。

しかし、である。

そうなると、このじかんというのは、いつのことで何のことなのか、より一層気になってくる。

 

話をまとめると、私は何かしらの約束を夏海としたが、私自身はもう忘れてしまっていた。

それを見越してか、これを書いたどちらかのなつみは、忘れるなということを強調するためにこの文章を作成し、さらに寄せ書きに加えた。

この約束が何で、時間がいつなのかは不明だが、今もその約束と時間を待ち続けている。

これが友人の唱えた説である。

 

17年前に同級生とした約束。

私は誰かと何かの約束をしたのだろうか。

そして、私はそれを忘れてしまったのだろうか。

17年前の記憶を反芻するように様々な思い出を掘り起こそうとしていた、その時。

 

ポンッ♫

 

私の携帯が鳴った。

携帯を確認する。

 

 

ようやくである。

とうとう真相がわかるかもしれない。

私は中里夏海からの友達申請が降りたことを確認し、今一度この感情の高ぶりを噛み締めていた。

 

 

17年ぶりである。

まずはなんと説明しようか。

久しぶりの連絡でこんなことを聞いたら、変に思われないだろうか。

そんなことを思いながらも、私は興奮を覚えていた。

 

きっと何かがわかる。

そんな気がした。

 

 

2017年、夏、メルボルン

私は依然として、2000年、夏の思い出の中にいた。

 

 

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