本当にあった怖い話〜17年前の寄せ書き〜その3
今回は前回に引き続き、私が17年前に体験した寄せ書きに纏わる
17年もの間、ずっと頭と記憶の中でつかえていたものを、
どうか、その真相究明のため、
前々回の記事で2000年に発生したこの一連の奇妙な出来事のあ
今回も前回同様、2017年、
中里夏海にFacebook申請を送った翌日。
私は朝からFacebookを確認しては、
その様は、初めて女の子をデートに誘い、
昨日、Facebookで友達申請を送った後、
まず、1つ目は当時の寄せ書きの写真を手に入れること。
色んな人にこの話をする度にまた新たな見解が生まれているため、
そう考えた自分は母親に協力してもらい、
この写真を多くの人に見せることにより、
次にしたことがこの写真をより多くの人に見せながらこの出来事を
多くの人に見てもらうことで、
ということで、早速友人数人にこの写真を見せながら、
すると、面白いことが起きた。
また新たな説が浮上したのだ。
人間、十人十色とはよく言ったもので、
ということで、
説6 何かのまじない、または呪い説
これはまた突拍子もない話なので、
みなさんは例のメッセージにある絵が描いてあったことを覚えてい
じかんきたらおしえてね
夏海 カエル
じかんだよ
上の文章の配置でわかって頂けるかは定かではないが、
そのカエルはお世辞にも上手いとは言えないデザインであった。
そもそも、
それぞれのメッセージの写真を見せていた時にそれは起きた。
待って。
このカエルよく見て。
このカエル、ここに描かれてるわけじゃないよね?
別の紙に描いたカエルが貼られてるよね?
そう言われ、写真を拡大してみて驚いた。
たしかにそうなのだ。
よく観察してみると、
これは驚いた。
何度も観察していたこの写真だったが、
ただ、なぜ?
なぜ、わざわざ別の紙にカエルを描いて貼ったのだろうか?
そもそも、カエルを貼らなきゃいけない意味は?
すると、友人はこう続けた。
そのカエルの描かれた紙を剥がせばいいのではないかと。
友人曰く、
そして、
なるほど、ある未来の時間が書いてあり、
さらに紙を貼るだけでは、
たしかに私はこのカエルに目を奪われ、
さらに、文章の不可解さも未来の時間が書いてあるのであれば、
では、仮に未来の時間が書いてあるとして、
その疑問を友人にぶつけた。
すると、友人はこう続けた。
ひろとが死ぬ時間が書かれているんじゃない?
それか、この子が殺しに来るとか。
はい?
涼しい顔で何を言ってくれてるんだこいつは。
そう言い放ったはいいものの、私は
友人曰く、このメッセージは何かのまじないや呪い的なもので、
デスノートじゃあるまいし、そんなことがあってはたまらないが、
それほどまでに、
仮に呪いのメッセージだよと言われてしまえば、
友人はまだ続ける。
呪いじゃないとしたら、
殺すというのは冗談だが、その未来の時間になつみが再び私の目の前に現れる可能性もある。
そう続けた友人は、最後にそのカエルを剥がしてみろと続けた。
そんなことを言われた自分は、
そのくらいこの説は気味の悪さと現実味を帯びて、
ちなみに、
私の記憶の中ではだが。
説7 私が何かの約束を忘れてしまっている説
前回も話した通り、この出来事は17年の前に発生したことなので
そんな中、私の友人は私がどちらかのなつみとある約束をし、
友人曰く、その約束の内容は、例えば20歳になったらまた再会し
無論、私はそのような約束をした覚えは全くないが、
仮にこのような約束をしていたとして、
ちなみにこのメッセージは、その時に書いたもので、
また、文章の内容に関してだが、
じかんきたらおしえてね
夏海
じかんだよ
前回も話した通り、
というのも、1文目では時間が来たら教えて欲しいと言っているの
この矛盾がこの文章をより一層不気味なものに変えていると思って
まず、1文目は私の解釈と同じように時間が来たら教えて欲しいと
しかし、2文目のじかんだよという一節は、時間が来たことを示して
これは時間が来た云々ではなく、ただの強調なのではないか、
要するに2文目のじかんだよは、1文目を強調しているだけなのだ
わかりやすく例をあげよう。
今日帰りに人参買って来てね!
人参だよ!
おわかり頂けただろうか?
このように2文目に特に意味はなく、1文目を繰り返して言うこと
友人はこの文章を見た瞬間に強調していると解釈したそうで、
たしかに友人の強調説は新しい解釈であり、さらに意味も通る。
しかし、である。
そうなると、このじかんというのは、
話をまとめると、私は何かしらの約束を夏海としたが、
それを見越してか、これを書いたどちらかのなつみは、
この約束が何で、時間がいつなのかは不明だが、
これが友人の唱えた説である。
17年前に同級生とした約束。
私は誰かと何かの約束をしたのだろうか。
そして、私はそれを忘れてしまったのだろうか。
17年前の記憶を反芻するように様々な思い出を掘り起こそうとしていた、その時。
ポンッ♫
私の携帯が鳴った。
携帯を確認する。
ようやくである。
とうとう真相がわかるかもしれない。
私は中里夏海からの友達申請が降りたことを確認し、今一度この感情の高ぶりを噛み締めていた。
17年ぶりである。
まずはなんと説明しようか。
久しぶりの連絡でこんなことを聞いたら、
そんなことを思いながらも、私は興奮を覚えていた。
きっと何かがわかる。
そんな気がした。
2017年、夏、メルボルン
私は依然として、2000年、夏の思い出の中にいた。
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