僕だけが知らぬ街

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本当にあったファームの怖い話〜いちごファーム編〜 その4【オーストラリア編】

みなさん、おはこんばんちは!

ひろとです!

 

本日のテーマはこちら!

 

本当にあったファームの怖い話〜いちごファーム編〜 その4

 

前回はコーワーカーが洗脳されてしまったのでは?というお話をお送りしました。

 

hiroto901219.hatenablog.com

 

今回はこのシリーズの完結編です。

A君が文字通り死にかけた最大の事件についてお送りしていきます

 

例によって、便宜上あたかも自分が体験したような書き方をとっていますが、あくまでも友人の体験談なので悪しからず。

 

では、今回も張り切ってスタート!

 

 

ケース3 運転事故接触未遂事件

 

仕事をスタートしてから2週間が経とうとしていた。

この頃の私といえば、肉体的にはようやく仕事にも慣れてきていたのだが、その一方で精神状態は不安定なままであった。

というのも、1週目に続き2週目も収入が支出を下回り、さらに日本人チームの仲にも亀裂が入ったことも駄目押しし、心の拠り所がまったくなくなってしまっている状態だったからである。

このままセカンド取得までの期間、ここでやっていけるのだろうか?

そもそも、このままの調子でマイナスが続くことも考えられるのではなかろうか?

そうなってはセカンドどころではないので、ファームを変えることも視野に入れるべきか?などなど、毎日これらの疑問が浮かびは消え、浮かびは消え、結局結論はいつも出ないという状態が続いていた。

 

そんな不安定な面持ちのまま、3週目がスタート。

この日もいつも通り、早朝に強制的に起こされ、素早く身支度を済ませ、車に乗り込む。

もう2週間も続いている、いつも通りの流れである。

この日のドライバーもいつも通りコリアンのコーワーカー。

彼の運転のもと、ファームへ出発した。

 

50分もあるファームまでの道のり。

私はドライバーの人には申し訳ないと思いつつも、ほぼ毎日その道中は寝てしまっていた。

もちろん、それは私だけではない。

ドライバーを除いた同乗者のほぼすべてが毎回寝落ちしてしまっていた。

ただ、この日はなぜかたまたま私は眠らずにいた。

もしあの時私が寝ていたら、そんなことをたまに考えるが、その場合おそらく私はもう生きていないのではないかといつも思う

 

シェアハウスを出て10分は経っただろうか。

まだ朝日の登っていない暗い山道を車は飛ばして行く。

時刻は427分。

当然のことながら、この時間の車通りはないに等しい。

よって車はなかなかのスピードを伴いながら、ファームへ向かっていた。

 

少し眠くなってきた。

まれに現れる対向車のハイビームに設定されたライトが眩しく車内を照らす。

山道ではライトをいわゆるハイビームに設定している車が多い。

ただ、その場合普通であれば対向車が来るたびにハイからローに入れるのがマナーであるのだが、ここオーストラリアでその点に気を配っている人間はごく僅かのようである。

まだ随分と先にいる対向車のライトが車内に降り注ぎ、私の右半身を照らす。

ライトに照らされる度にうつらうつらしていた自分は少し目が冴え、少しするとまた夢の中への船を漕ぐ。

そんなことを何回か繰り返し、夢と現実の行き来をしていた頃、ふと奇妙なことに気づく。

何か居心地が悪い。

なんとなく、体全体が安定しない。

なんだと思い、目を開けてみる。

周りを見るにまだ山道を走っているようだ。

 

と、次の瞬間。

車が横に少し揺れ、不安定な走り方をし始めた。

これだ!

どうやら、これが先ほどの奇妙な不安定さを生み出していたらしい。

しかし、どういうことか?

まさかと、思った瞬間また車体が横に揺れた。

 

もう間違いない。

ドライバーの彼が寝ているのだ!

すぐさま身を乗り出し、彼の様子を確認する。

やはり、彼はほぼ寝落ちする手前であり、夢の中への船を漕ぎ始めていた。

これはやばいと、思った次の瞬間、前方から眩しいライトが車内を照らし出す。

またハイビームにセットされたままの光が車内に降り注ぐ。

とりあえず、私はドライバーの名前を叫びながら彼の肩を思い切り叩いた。

と、そこであることに気づく。

ライトがいつも以上に眩しいのだ。

 

先ほども説明した通り、対向車のライトが車内に入ってくることはしばしばある。

しかし、である。

本日の私のポジションを鑑みるに、毎回対向車のライトは私の右半身を中心に照らしていたのだが、今はどうだろうか。

なぜか左半身までライトが来ている。

そこまで気づき、前方に目を移すとすべての答えがそこにはあった。

 

私たちの目の前に、今にもぶつかりそうな対向車が現れたのだ。

その距離は、もう20mもないように見える。

 

まずい!

ぶつかる!

 

彼が寝ていることに私が気づいてから、ここまでおそらく5秒ほどであったか。

はたまた、1分はあったのだろうか。

正直、この瞬間の記憶は曖昧である。

よく人は死ぬ瞬間にすべての風景がスローモーションに見えるというが、これがまさにそれなのだろうか?

いわゆる、走馬灯というものが始まっているのだろうか?

 

プーーーーーーーーー!!!!!!

 

はっ、と気づくとドライバーの彼がようやく起きたのか、車が急ハンドルで元の車線に戻っていった。

それから、数秒もたたないうちに対向車が横を抜けて行くのが見えた。

対向車のライトとクラクションの音が朝の闇に消えて行く。

急ハンドルで生じた揺れはなかなかだったようで、周りの同乗者も続々と目を覚ました。

 

大丈夫か?とドライバーに尋ねてみる。

彼はすまないと力無く答えると、すぐに車を路肩に停めた。

停車後、同乗者に今起きた大惨事になりかねない危機的状況の一部始終を説明した。

結局、代わりの同乗者が運転をすることになり、車はすぐにファームへと走り出した。

 

残りの道中、私をはじめ同乗者の皆が寝なかったのは言うまでもない。

ファームに着き、車を降りる。

なんとかファームに辿り着くことができたという、このファーム生活では感じたことのない生への喜びと安堵が溢れ出る。

すると突然、そんな束の間の安堵を裏切るかのような、到底理解できない事実が私の目に飛び込んできた。

前方ドア付近に目を向けた時である。

これは、まさか。

なるほど、どうやら私は重要なことに気づいてしまったらしい。

この事実は今まで気にとめていなかっただけで、ずっとそこに事実として存在していたようだが、決して繋がることのないただの一つの点であった。

しかし今、まさに点と点が繋がり、一つの推測という名の線になってしまったようだ。

 

ならば、と私は思った。

おそらく、この車だけではないのではと私は気づいた。

その真意を確かめようとしたその時、同乗者が先ほどのドライバーに寝落ちしてしまった理由を目の前で問いただし始めた。

事の真意が気になっていた私だが、こちらも気になったため一旦はそちらの問題を片付けることにした

 

ドライバーの言い分は以下の通りである。

私たちはこのドライバーも含め、ほぼ毎日同じシフトで動いていた。

毎日同じ時間に家を出て、同じ時間に帰る。

帰ってからは次の日に備え、皆すぐに寝ていた。

そう思っていた。

しかし、実際はそうではなかったらしい。

 

実はこのドライバーを始め、何人かのコリアンのワーカーは仕事後に車を走らせ、物資の配達を頼まれることがあったらしい。

確かに言われてみれば、帰宅後にこのドライバーを見ない日があったようにも思う。

彼曰く、昨日も帰宅後に急に物資の配達を頼まれ、車を飛ばし一旦ファームまで行き、物資をピックアップし、車で40分ほど先にある街まで届け、家に戻ってきたらしい。

結局、家に帰ってきたのが深夜だったため、かなりの寝不足であり、運転中に寝落ちしかけてしまったのだ。

彼はかなり謝っていたが、事情が事情であったため、誰も彼を責めることはできなかった。

結局、今後は寝不足の人は必ず申し出て運転しないようにするというルールを作り、各々の持ち場についていった。

 

まさか、そんなことを強いられていたなんて私はまったく知らなかった。

私が推測するにコリアンのワーカーのみこのような雑用を押し付けられているようであった。

しかし、果たしてドライバーの彼らは仕事後のこの雑用に対して、給料をもらっていたのだろうか?

おそらく、タダ働きさせられているのではという疑問が湧いたが、それを彼らドライバーに聞く気にもなれなかった。

 

時刻はまもなく5時。

私は仕事スタートの前に一つどうしても確かめたいことがあった。

先ほど私が見たものがどのような意味を持つのか、それを確かめたかったのだ。

その結果次第では、今後の処遇を考えなければならない。

 

私は自分たちが乗ってきた車を背に、他のコーワーカー達が乗ってきた車をチェックして回った。

そこには計5台のワゴン車が停まっていた。

どれも私が乗ってきた車と同じような車体である。

私はすべての車を見て回った。

 

やはり、私の睨んだ通りであった。

5台中、3台が私達の車と同じ状況であった。

点と点が繋がり、線と線が繋がった結果、一つの恐ろしい事実が浮かび上がってしまった。

ただの推測だと思っていたものが、揺るぎない確信へと変貌していく。

 

翌日。

私は仕事を辞めることにした。

次のファーム先は決まっておらず、さらには移動するお金もほとんどなかったが、ファームを出ることにした。

今後どうするかは未定だが、ここに居続けるという選択肢だけはなかった。

 

こうして、私の地獄のいちごファームでの日々は2週間弱で幕を閉じた。

ちなみにこのファームは現在も存在しており、たまにFacebook等で求人情報を見かけるので、読者の方にはくれぐれも注意して頂きたい。

ファームは星の数ほどたくさんあるが、その分良いファームも悪いファームも存在するのは事実である。

そのファームが良いか悪いかの物差しは人それぞれで、ファームの良し悪しを判断するのはたしかに難しい。

ただ、一つ言えるのは、決して甘い覚悟でファームに行くなということである。

 

最後に私から1つアドバイスを送りたい。

私がこのファームを去ろうと決めた事実についてである。

 

ファーム送迎車の状態には常に気を配っていて欲しい。

 

少し時間を戻す。

 

ファーム最終日。

私はもっとも古株のコーワーカーに私の推測のすべてをぶつけてみることにした。

 

ねえ、ちょっと聞きたいんだけど。ファームの車、なんで5台中3台のサイドミラーがないのか知ってる?

「サイドミラー?あー、あれはねドライバーが居眠り運転して壁にぶつかって壊したらしいよ。」

 

もしファームに着いてファーム専用の送迎車があった場合、そしてその車のサイドミラーが見当たらなかった場合、すぐにそのファームを去ることをおすすめする。

セカンドより命が惜しいなら、一刻も早くそこを立ち去るべきである。

 

以上が私の地獄の日々の記録である。

これが多くの方の参考になれば、私の経験も報われる気がする。

 

 

文字通り死にかけた、嘘のような本当のお話でした。

最後まで読んで頂き、ありがとうございます。

本日はここまで!

 

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